先日、ある仕事の関係で久しぶりに日本橋を訪ねた。地下鉄を出て、高校の帰りによく寄り道していた書店の丸善を物色し、外に出てみると、目の前に変わらぬ高島屋があった。小さい頃おばあちゃんと一緒に来ていたなぁと記憶が蘇る。高島屋の、手動のエレベーターには、純白の手袋をはめたエレベーターガールがいた。「上へ、参ります」と独特の鼻声でアナウンスをし、レバーをガチャンとおろすとエレベーターが動く。その行為が羨ましくて羨ましくて、よく家で真似をしていた。
この街も随分変わったなぁと周りを見渡す。何がどう変わったか厳密には言えないのだけれど、知らないピカピカの高層ビルが建っていたり、なんとなく歩いた時の肌感覚が違う。これから、たくさんの再開発が始まっていく日本橋。2025年には日本橋の傍らにある野村ビルディング一体が生まれ変わる。2040年には日本橋の橋の上に通る首都高速道路を地下に通し、川沿い一体が再開発される計画がある。果たして、この街はどのように、生まれ変わっていくのか。新しいものを作るだけでなく、過去をどのように残していくのか。注目していきたい。
by Yukako
🎧 Podcast New Release
【#45】都市と保存:導入編「何を壊し・何を残すのか」
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「あれ?ここ何があったんだっけ?」と、真新しくなったビルやお店を見て思うことはないだろうか。今月のPodcasstのテーマは「都市と保存」。都市は新陳代謝が早く、時には私たちの心をおいて生まれ変わってしまうこともある。そんな変わりゆく都市の中で何を壊し、何を残していくのか、そしてどう作り替え、どのように変化を受け入れていくのか。再開発、文化財の保存、日本の新築至上主義など、さまざまなテーマで保存について考えていく。
👀 Good News of the Week
アムステルダムのスクワット文化と旧造船所・ADMの行末
先日、オランダ出身の建築家・アーティストであるElmo Vermijsのスタジオを訪ねた時に、アムステルダムのスクワット文化について教えてもらう機会があった。彼のスタジオが、かつてスクワットされた学校にあるからだ(シェアオフィスには、体育館の面影がそのまま残っていた)。使われていない建物を無断で占拠することを「スクワット」という。「不法占拠」と聞くといかにも危険でイリーガルな印象を受けるが、実はオランダでは、1960年代に都市部で住宅不足が問題となったことをきっかけに、このスクワットが合法化されている。しかし、住宅事情の改善や建物のオーナー達による異議申し立てにより、スクワットは再び、2010年に違法化されることになった。現在でも、アムステルダム各地にスクワットの痕跡を残す場所が存在していて、Elmo自身、「僕もかつては、こことここのスクワットに参加していたよ」とけろりと話す。有名なのは、北部にある旧造船所・ADMだ。1997年から少しずつコミュニティが形成され、45ヘクタールの土地に建物やボート、車で生活する約130人の人々が集まり住処となっていたが、スクワットの違法化を受けて、抗議運動にも関わらず2019年に立ち退きが行われてしまった。当時の様子が分かる写真が公開されているので、ぜひ覗いてみて欲しい(観光化する前の、コペンハーゲンのクリスチャニア地区を彷彿とさせなくもない)。立ち退きが行われたADMだが、現在でもコミュニティ活動は活発で、定期的にイベントなどが開催されているらしい。すっかりジェントリフィケーションの波に呑まれて、今ではヨーロッパで最も家賃の高い観光都市となってしまったアムステルダム。そこまで遠くない過去に、自由で反骨精神のある、荒削りな姿があったのだと想像すると、なんだか寂しくなってくる。ほんのりタバコの匂いがして、埃っぽい空気にまみれていて、みんなお金がないけど自由に生きている、そんな都市。かつてのアムステルダムを勝手に想像しながら、みたことも無い都市に恋い焦がれている。(Mariko)
都市の中に取り残された中国の「城中村」
先日、中国出身の知人と、中国のまちづくりについて話す機会があった。そこで、「城中村」という、都市のなかに取り残された村のことを教えてもらって衝撃を受けた。深圳のピカピカな高層ビルを背に、そこだけ時が止まったかのように、昔ながらの村が立ち現れる。再開発の波におされ、この風景もあと数年で見れなくなるのでは、と知人は語る。城中村は、中国各地で1980年代頃から増加し2000年にピークを迎えた。元農地が発展してできたこの村は、急激な都市開発を横目に自主的な自治で成り立っている。都市農村二元管理体制と言って、都市の土地は国家所有、農村の土地は農民集団所有となっていることから、都市で提供される公共インフラや年金・社会保障などは元農地である城中村には適用されず、村の人たちが自分たちで解決しなくてはならないという。村民は主に、地方からの出稼ぎ労働者に持ち家を貸す賃貸事業で生計をたてて暮らしている。Xiong Shengwenという写真家がこの村の暮らしを撮影した記事が素敵だった。そこには、この村に暮らす人たちの何気ない日常の風景が写されている。都市の新陳代謝のなかで、なくなってしまうものがあることは仕方がないことである。実際、城中村では住宅の老朽化やゴミ問題など衛生面での課題も多いという。しかし、そこに住む人同士が自主的に家を建て、暮らしを支えあってきた風景は、綺麗に整備されたビル群では実現できないものであるのも確かだ。現在では、若者たちを中心にしたグループによって、この村の魅力や記憶を残す活動が盛り上がってきているという。いつかなくなってしまうなら、誰かの心や記憶を残しながら壊して欲しいと願うのであった。
参考:「中国都市における城中村再開発の実態に関する一考察 : 中国西安市を事例として」(Yukako)
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